金沢城

金沢箔の歴史

金沢で金箔が初めてつくられたのがいつ頃かは定かではありませんが、その歴史は古く、文禄2 年( 1 5 9 3 年)に加賀藩初代藩主・前田利家が金・銀箔の製造を命じた書が残っています。
しかし、十七世紀末、幕府は江戸に「箔座」を設け、全国の金銀箔類の製造・販売を統制。これによって金箔の製造は、江戸・京都の箔座以外には許されなくなり、金沢でも箔類の製造・販売はできなくなりましたが、金沢の箔職人たちは、製箔業確立に向けての運動を粘り強く続けました。
やがて明治維新で江戸幕府の崩壊とともに箔の統制はなくなり、最大の供給源であった江戸箔がとだえる一方、金沢箔の生産・販売は自由になり、全国的に名をあげることになりました。

 

加賀藩前田家による文化振興策
前田家は代々、文化振興策によって幕府の警戒から藩を守り、さまざまな伝統工芸の技を手厚く保護してきました。今では「工芸王国」と称されるほど数多くの工芸がこの地に根付き、加賀百万石の文化を花開かせました。この地には、工芸材料である金箔が必要とされる土壌があったのです。

 

箔づくりに適した風土
金沢は、箔の製造に適した水質と気候に恵まれています。箔打ち紙の仕込みに、金沢の軟質の水質が適していたと言われています。また、金沢は湿気が多く、紙の湿り具合の調節が要となる紙仕込みの作業に適しています。

 

磨かれた製箔技術
幕府の統制下にあり、質・量ともに限られた材料で密造する時期が続き、経験と工夫を積み重ねてきた結果、優秀な製箔技術が培われました。

 

これらの要素と歴史的要因により、今では、金沢は日本の箔のほぼすべてを生産する「箔の街」となりました。